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■『戦旗』1676号(3月20日)5-6面 北欧モデルではなく セックスワークの非犯罪化を 関西地方委員会 現在、日本でも買春禁止法=北欧モデルの導入の動きが、政治政党や運動圏のなかからも出てきている。しかし、実際にフランスなど北欧モデルが導入された国・地域では移民をはじめとしたセックスワーカーたちがより一層危険にさらされ、スティグマが強化されているという報告がすでに出ている。本稿では、セクシュアリティに関わるさまざまな差別があるなかからセックスワーカー差別や北欧モデルの問題点に焦点をあて、その概要を論じていく。 セックスワーカー差別の現実 性に関わる仕事に従事する人たちは、いつも偏見と差別にさらされてきた。市民社会において、性に関わる仕事は不健全なものとして遠ざけられる。例えば、先日読んでいたとある少女漫画に出てきた話だが、主人公がテレビタレントとして活躍への第一歩を踏み出そうというとき、主人公が上京したての頃に風俗店で働いていたことは、世間的なイメージ等に鑑み、包み隠されるべきものして、タレント事務所総出で隠蔽工作が行われるシーンが描かれる。また、最近見た別のフランス革命期の激動を描いた歴史フィクションアニメ作品では、平民の身分から公妾へとのし上がったキャラクターが、元「娼婦」であることがすなわち「賤しい」こととされ、犬猿の仲の夫人たちからは悪口のネタにされ、「品」を求める王太子妃からは話しかけること自体が自らの品を落とすことだとして無視されるという場面がある。 これらの漫画やアニメはフィクションだったとしても、類似の出来事は私たちの実際の生活の中でざらに見聞きする事柄だろう。コロナ禍においては、性風俗産業が「不健全」であるとして国の事業者向け給付金の対象から外された。風俗業に対する偏見や差別が実際の殺人事件に結びついたものとして、二〇二一年に立川で一九歳の少年が風俗店に勤務していた女性を刺殺した事件は記憶に新しい。これらの現実の事件は、どうして性風俗産業以外の産業や、風俗店勤務の女性ではない犠牲者のようには、社会の多くの人々の他人事でない怒りや悲しみを誘わなかったのだろうか。 フロイトによれば、セクシュアリティは常に外傷的であるという。トラウマ(心的外傷)と直接的にむすびつく性的な欲動(性衝動)は、主体のなかに不安や嫌悪を引き起こす。さらに、差別とは、フランスの哲学者ジュリア・クリステヴァが理論化したように、「おぞましきもの」(アブジェクション)という私たちが持たされているイメージによって、(現実の階級支配の中で)その役割を果たす。「外国人」、「障害者」、「部落民」などに対して抱かされているイメージが果たす役割と同じように。そして、セクシュアリティというものが本質的に外傷的であるがゆえに、最も強烈におぞましきものとして主体にせまり、市民社会における「性道徳」や「良識」によって、アンタッチャブルな、避けられるべきものとして社会的に表象(イメージ)されることを運命づけられる。こうして、セクシュアルマイノリティや性産業に従事する人々に対して、その実像には一歩も近づくことがないままに、偏見や差別や排除が苛烈を極めることになる。一見、差別からの解放を求めている人々のなかからでさえも出てくるトランスジェンダー差別やセックスワーカー差別は、そのようなセクシュアリティの根源的な外傷性ゆえの受け入れ難さを、もっともわかりやすく表象しているといえるだろう。 セックスワーカーは労働者だ セックスワーク/セックスワーカーという言葉は、性に関わる仕事が伝統的に売春婦や娼婦などの侮蔑的なニュアンスの含まれた言葉で呼ばれてきたのに対し、性に関わる仕事に従事する人たちも一労働者であるということに焦点を当てるために、一九七〇年代の終わりごろからアメリカで使われ始めたものである。セックスワーカーは自分の身体や人格を売っているわけではなく、サービスを提供している労働者だという意味が込められている。当事者の運動の中から生まれた言葉であり、セックスワーカーを一労働者として考え労働者としての権利を守ろうとする立場が、セックスワークという言葉には込められている。少なくとも私たちはそのようにとらえるべきだ。このような立場に立つ場合、セックスワークの非犯罪化が求められる。非犯罪化は、あくまで国がセックスワークを管理・統制する「合法化」とは異なり、売る側も買う側も、セックスワークそのものが権力による管理・支配の対象とならない法体系を指す。非犯罪化されることによって、安全や、労働条件の改善など、労働者としてのあたりまえの権利を追求することができるのである。 セックスワーカーを苦しめる北欧モデル 一方で、セックスワークは労働者の人格を売る行為であり、買う側が売る側をまるで人身売買のように買っている、性を「搾取」している、と考え、性産業そのものが廃絶されるべきだと主張するのが性産業廃絶論だ。このような立場に立つ場合、北欧モデルと言われている法体系が主張される場合が多い。北欧モデルは、売る側は処罰されないが、買う側は犯罪者として取り締まりの対象になるという法体系である。北欧モデルは、一見セックスワーカーの権利を守るかのように見えるが、実際にはセックスワークのアンダーグラウンド化を招く。ワーカーの安全や権利を守ることが困難となり、結果的にセックスワーカーにとって不利に働く場合がほとんどである。警察の目を避けたい顧客のためにワーカーの自宅やホテルではなく顧客の家でサービスを提供せざるを得なくなる。結果として労働環境を管理することが難しく、セックスワーカーの組織化だけで犯罪とみなされることが多いため、ワーカー自身が団結して身を守るという方法をとることが難しくなる。警察に通報される恐れがあるため、労災の際に安心して病院にかかることもできない。北欧モデルは、セックスワーカーの安全や権利を守るものだとは到底言えないばかりか、セックスワーカーを苦しめる法体系であると言わざるをえない。 さらに、性産業廃絶論は、セックスワーカーへの偏見と蔑視を含み持っている。性産業廃絶論においては、しばしばセックスワーカーに対する侮辱的、人格否定的言説や、直截の差別言説がみられる。その根源には、性に関することは「不健全」であるといった、市民社会の性道徳が存在するのではないか。市民社会の性道徳は、天皇制のもと、資本主義に必要なジェンダー秩序を補完するものとして、大多数の一般市民に内面化されている。性産業廃絶論は、その価値観においてジェンダー秩序を維持するための市民社会の「道徳」から一歩も外へ出てはおらず、性別二元論家父長制社会の秩序を補完している。 差別根絶のために闘おう セックスワーカーのなかには、他の業種の労働者と同様に、現状でセックスワークを選ぶのがもっとも合理的であったり、考えられる選択肢の中でもっとも負担が少ないと考えて選択している人もいれば、一番自分に合っていると考えている人もいる。セックスワークを禁止すれば危険が減るわけでもなく、むしろ危険は高まる。セックスワークを一つの仕事とみなさず、廃絶されるべきものであると主張することは、労働者として当然の権利を追求するための可能性をも奪い、セックスワーカーが危険な目にあっても当然と片付けられるという状況を生み出しかねない。いや、現に生み出している。セックスワークを取り巻く状況を理解すれば、セックスワークの非犯罪化を通して、労働者としての権利や公正で安全な職場環境を追求することができるようになることが、セックスワーカー差別を根絶するための最初のステップだとおのずとわかる。アンタッチャブルなものとして遠ざけようとするのは、差別を助長することにしかならない。セックスワーカー差別根絶のため、現実のセックスワーカーたちやその労働環境を知り、まずはセックスワークの非犯罪化を求めて、ともに闘っていこう。 (参考図書として、『セックスワーク・スタディーズ 当事者視点で考える性と労働』(SWASH編、日本評論社)を推薦したい。) |
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